| <佐久間木材株式会社とは> |
| 当社は明治38年に東京・浅草で創業して以来、木の特性を活かした商品を提供しています。 |
| 百年にわたる歴史の中で、合板が持っている特性にいち早く着目し、紙器などの型を作る際に必要な抜型用合板を開発いたしました。 |
| ニッチな市場ではありますが、今でも全国一のシェアを持っており、全国各地へお届けしています。 |
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| <エコモクの特性> |
| 1.環境に配慮した木材を使用している。 |
| 2.木質材料に特化している。 |
| 3.主に板材に特化している。 |
| 4.加工精度が高い。 |
| 5.全国へお届けする。 |
| 6.安価である。 |
| 7.木に関する情報をリリースしている。 |
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| <佐久間賢之とは> |
| 昔は会社と材木置場と自宅がつながっていまして、自宅は木造の日本家屋でしたから、木に囲まれて生活していました。 |
| 友人が遊びに来ると、「サクマの家は木のにおいがプンプンするね。」なんて言われたものです。 |
| 私は産まれてからずっと木の香りを嗅いでいるせいか、全く感じていませんでしたが…。 |
| 会社で働いている社員の方々も、家で一緒に生活していました。 |
| 昔はそんな商店がよくあったのです。 |
| 食事やお風呂は社員が優先でした。 |
| 「働いている人が一番偉いからだよ。」と、祖母に教わりました。 |
| 湯船は最後のほうになると黒ずんでいたのを覚えています。 |
| 私の曽祖父「喜三郎」が創業者で、祖父「大吉」、父「英樹」ときて、私で四代目。 |
| 子供の頃から周りの人に「四代目、四代目」と言われて育ってきました。 |
| そんな環境が窮屈に思えて、少し荒れていた時期もありました。 |
| 見た目はいわゆる不良ではなかったのですが、やっていることはそれ以上のことも…。(笑) |
| 小・中・高校まで、親がちょくちょく学校に呼び出されていました。(ゴメンネ) |
| 「逃避・脱出」癖がエスカレートして、大学では探検部に入部。 |
| 日本全国、洞窟や川下り・山登りや沢登りをやっていました。 |
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| 自然の中にいると開放感があり、癒される感覚を覚えました。 |
| 今でも趣味になっている、「焚き火」はこの時にハマリました。 |
| 旅に出るには資金が要ります。 |
| テント生活とはいえ、一年の三分の一は旅に出ていましたから。 |
| 効率良くお金を稼がなければなりません。 |
| 薬の臨床実験、いわゆる「人体実験」のバイトをしたりもしました。 |
| もちろん、親には内緒で。(笑) |
| 国内の旅だけでは収まらず、海外にも行くようになりました。 |
| 中国、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアなどなど…。 |
| 今までの常識が通用しない世界、まるで自分が赤ん坊になったような感覚。 |
| 言葉は通じないし、飯を食べるのも一苦労。 |
| 目的地に行くのも大変、宿を取るのも…。 |
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| これが楽しかったんです。 |
| 右も左も分からなかった自分が、だんだん分かってくる。 |
| 現地の人々とのコミュニケーションも取れてくる。 |
| 頼るは自分の身一つのみ。 |
| いろんな事件に巻き込まれたりもしたけど、すべて自分一人で解決してきました。 |
| 自分に力が付いてくる感覚、「生きている」実感。 |
| ところがある時気付いたんです。 |
| 「俺がこんな旅ができるのも、日本があるからなんだ。強い円のおかげなんだ。先祖が一生懸命働いてくれたおかげなんだ。」 |
| そう思うと、ずっと逃避行を続けていた自分が恥ずかしくなり、無性に働きたくなってきました。 |
| 現地の人々との交流も、仲良くなったつもりでいても、私は日本の旅人として付き合ってるので対等な立場ではない。 |
| まずは現地の人々と一緒に働いてみたいと思うようになりました。 |
| そこで大学を休学し、一年間、イスラエルのキブツ(集団農場)で働くことにしたのです。 |
| 皿洗い、魚のすり身工場、蜂蜜取り、バナナ畑などで働きました。 |
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| 途中、エジプト・ギリシャ・トルコ・ケニヤ・タンザニアなどに遊びに行きました。 |
| キリマンジャロの頂上で初日の出も見てきました。 |
| 海外での経験で、私は「生きる」ことの楽しさと、「生きていく」ことの自信を身につけました。 |
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| ただし、家業を継ぐことへの抵抗感はぬぐえず、大学卒業後はマンションディベロッパーに就職することになりました。 |
| 家も出ました。 |
| サラリーマンとして気ままに(あまり仕事に熱心ではなく…笑)生活していましたが、コンクリートの家を販売していくにつれ、産まれながらに木に囲まれて育ったその木の魅力にとりつかれていきました。 |
| しかし家を出た身としては、今更家業を継ぎたいとも言えずにいました。 |
| そんな時、父が癌になり、医師から余命3ヶ月を言い渡されたのです。 |
| この時を逃したら一生後悔すると思い、佐久間木材に入社させてもらいました。 |
| これまでの「逃避・脱出」人生から「もう逃げ道はない」人生への転換。 |
| 「木の道をずっと歩く決心」をしたのです。 |
| 父が他界し、社業を継いだのは弱冠30歳の時でした。 |
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| いろいろ大変なこともありますが、「木が好き」なことには変わりがありません。 |
| 好きな木を仕事にしていることに感謝しています。 |
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| 私の目標は「木の特性を活かした商品、情報をお届けする。そしてこのカサカサした乾いた社会に、ちょこっと潤いある空間を提供する。」です。 |
| この目標を決めたきっかけはマザーテレサにあったような気もします。 |
| インドに行ったときのことです。 |
| 「早朝のミサに行けば、マザーテレサに会えるよ。」という噂話を聞き、ミーハーな気持ちで教会に行きました。 |
| 本当にいらっしゃいました。 |
| ワタシの数人隣りに、車椅子に座った小さなマザーテレサが、みんなと同じようにお祈りをささげていたのです。 |
| ミサが終わった後、マザーテレサから直に名刺をいただきました。 |
| 裏面には手書きで「call me later 090−××××―××××」と電話番号が!←ここはウソです(笑)。 |
| まーでもそんなことで親近感を覚えていました。 |
| ただそれだけのことで、日本に帰ってきてからはすっかり忘れ、月日が経ちました。 |
| ある日のこと、高田馬場の本屋さんで偶然マザーテレサの本を見つけて購入しました。 |
| するとなんと、その日のニュースでマザーテレサ逝去を知ったのです。 |
| なんという偶然でしょうか。 |
| なにかマザーテレサと繋がっているような気がしてなりません。 |
| ワタシはかつて阪神大震災やナホトカ号重油流出事故の時にボランティアをしたことがあるのですが、それもマザーテレサのお導きでしょうか。 |
| それ以来、ワタシはマザーテレサを心の師としています。 |
| 彼女の名刺には、本当はこのようなことが書いてありました。 |
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The fruit of SILENCE is Prayer
The fruit of PRAYER is Faith
The fruit of FAITH is Love
The fruit of LOVE is Service
The fruit of SERVICE is Peace |
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| 私の目標は、こんな体験から出てきたものです。 |
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| そして、私の考える企業の責任とは「株主にでも、顧客にでも、あるいは社員にでもなく、根本的に資源元に対して責任がある。」です。 |
| これは、アウトドア・アパレルメーカーのパタゴニア社の創業者兼オーナーであるイヴォン・シュナードさんの言葉です。 |
| 私の心の中にモヤモヤとあった企業観を見事に言葉に表していただきました。 |
| 木材というまさに資源を商いする私は、木材が育った年月、育ててくれた人々の苦労などを考え、決して安売りすることなく利益を出し、税金をしっかり払い、さらなる植林をできる社会基盤をつくる一役を担いたいと思っています。 |
| そして会社を預かった四代目として、次につなげていくためにがんばっていきます。 |
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| ちょっとデカイことを言ってしまいました。 |
| まぁ、いつものように肩の力を抜いて「今の自分をちょっと超えてみる」、それだけかもしれません。 |
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