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佐久間木材株式会社 創業明治38年 東京浅草 木質材料専門店 エコモク 

兄貴6

社会にでてから職を転々とし、23歳で弊社に入社。
入社するキッカケは飲み屋での出会いでした^^;;
入社する前、借金する事が嫌いな私は、新車を買ったローンの返済を早く終わらせるために、昼間は会社、夜はスナックのバイトと掛け持ち生活していました。
バイト先では主に調理をしていたので、今でも炊事をするのは苦ではありません。
結婚して子供が年頃になり今では滅多に炊事しませんけど・・・

そこによく飲みに来ていた弊社社員の方に好意にしてもらい、佐久間木材で働かないかと何度か誘われていました。
このまま昼夜掛け持ち生活を続けているのも良くないと決断。
社長の面接試験を受け何とか合格。
それまでの生活にピリオドを打ち、弊社に入社しました。
弊社に入社するまで抜型の事など全く知りませんでした。
そんな私も今では中堅社員となっており先輩は数人に…。

思い返せば色々と苦い経験もありました。
入社してすぐには倉庫の商品を覚えながら、配送の助手として1ヵ月同行し、お客の場所と合板の担ぎ方、降ろし方を習い、翌月から先輩の営業に同行する予定でしたが、先輩が骨折し入院。
何も分からないまま一人で営業にでることに。
合板を客先で降ろしている時に自分の足に合板を落としたり、ロープの結びかたが悪く坂道発進で合板を一山まるごと滑り落としたりもしました。
お客さんにも色々な事で怒られ、頭を下げたことは何度もあります。
まだまだ数々の苦い経験がありますがこれくらいにしておきます^^;;

また、抜型合板も時代と共に変化してきました。
入社当時はシナ共芯合板とシナラワン芯合板がメインでした。
その後、中芯の材質がアスペン、パイン、ジェルトン、ポプラ、キリなどなど原木事情や時代に対応して色々と変わってきたのです。
昔は糸鋸で合板をカットしていましたが、近年ではレーザー機でカットすることが主流となり、合板もそれにあわせてレーザー加工しやすい柔らかい物へと変わってきました。
また、競合他社の出現により顧客の争奪戦、価格競争が始まり安く供給できる合板の開発が求められてきました。
弊社ではマレーシアに合板工場を持っているメーカーさんと共同開発で合板を製作し販売を始めたのですが、あまりにも反りネジレがひどく大量の合板をメーカーに返品しました。
マレーシア工場に行って検品の仕方を教えてほしいとの要請があり、自身初の海外行きが決まり、マレーシア工場で一日かけて検品の仕方を現地人に教えてきましたが、その後もあまり良い物が出来なかったのと原木事情により、マレーシア工場から抜型合板の製造は止めると通達があり、製造中止となってしまいました。
今となってはマレーシアに行ったのは何だったのだろうか?と思ってしまいます。

最近では合板の中芯を中国で作り輸入し、表面のシナを国内で貼るようになったり、完全な製品として輸入したりもしております。
こうして低価格の合板が流通するようになり、お客様にとっては良いことかと思いますが、私の中で1番おススメの抜型合板は昔ながらのシナ共芯です。
なぜかと言いますと、シナ共芯合板は国内で原木を剥いて中芯からすべて日本で貼っている国内産製品だからです。
国内産ゆえに合板のハガレが起きる心配も輸入品と比べると大幅に少なく、厚みの精度もしっかりできております。
最近では合板を反りにくくする加工もされており、昔ながらの合板ですが進歩もしているのです。
また、国内生産ですのでお客様の要望もすぐに取り入れることもできます。
日本ほど抜型合板の品質に厳しい国は無いと言われています。
それをクリアーできるのは、やはり日本国内で製造したものだと私は思うのです。
価格面では他の合板よりも少しばかり高いですが、品質の良さが商品として何より重要なことだと思うので、シナ共芯合板をおススメします。

今後、地球温暖化問題もあり世界中で森林保護の伐採規制などにより材木の供給不足も懸念されます。
抜型合板を安定供給していくためには、キチント植林計画を立てて伐採している木での新商品開発をしていかなければなりません。
また、抜型を製造した時に出る端材(現在はゴミとして処分されている)を再利用できるように考え、研究開発することを進めてまいりたいです。

弊社社員紹介

佐久間木材で働くメンバーを紹介します。
 | 木材バカ四代 | 正さん | まるこんぶ | 兄貴6 | ゴン |
 | ドサンコ | くりすけ | 2号目 |